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2015年5月16日土曜日

監獄ロック/JAILHOUSE ROCK


監獄ロックJAILHOUSE ROCK

認知症だった母が、診察に来たドクターにこう聞きました。

「教えて。」

なにを教えて欲しいのか、自分には分かりました。
ドクターもそうだったでしょう。
「なにを?」を分からないふりをして聞きました。
母は返事しませんでした。母も分かっていたと思います。

わからないふりをして「大丈夫やで、心配ないからね」と返しましたが、
母は、なにも言いませんでした。

認知症が進む日々での切なくも残酷なやりとりでした。




ジョンレノンは、自分をパロディ化してしまったエルヴィスに近親憎悪的に失望したが、レノン自身が語っているように「エルヴィス以前にはなにもなかった」のだから、エルヴィス自身が新世界を切り開くしかなかった。しかしエルヴィスにはそれだけの野心はなかったし、「エルヴィス以前にはなにもなかった」弊害をエルヴィスは抱えていた。マネジャーのトム・パーカーの存在だ。

トム・パーカーの選択も「悪」とばかりは言えない。実際、誰もが先を読めなかった。パラマウント映画の大プロデューサー、ハル・ウォリスも契約はしたもののどう扱えばいいのか分からなかったし、後日自身のショーのゲストにエルヴィスを迎えたフランク・シナトラさえも「あんなチンピラ、すぐに人気は下がる」と言い放っていた。みんな分からなかった。

後になって、それぞれがそれぞれの立場でいろんなことを語っているが、コロンブスの卵と変わらない。

エルヴィスに野心がなかったことを責めることは過酷すぎる。なにより野心を持たない自由もある。母のために生きること、恋に生きることを責めることを誰もできない。それこそが人はそれぞれに積極的に自己主張(アサーティブ)であることを許されているのだから。これこそがロックンロールの産物であり、恩恵のひとつであり、ジョン・レノンが歌った「イマジン」に通じるものではないのか。「それを言っちゃお終いだよ、レノンさん」なのだ。

結局、エルヴィスもジョン・レノンも、どれほど遠くに行ったように見えても、なんだかんだ言っても、「家族」という束縛から逃げることはできなかった。エルヴィスはなにより家族を愛し、その抑圧から解放されるために、ドラッグやセックスに溺れたとしても、それも「戦いの季節」だったと大目に見てあげればいい。他者に迷惑をかけずに苦しんだのは本人なのだから。

キッチンドリンカーになって早死を選んだグラディスは、自殺にも似ていて、エルヴィスもグラディスに導かれるように同じような選択をした。ジョン・レノンはなぜ愛されながら憎まれたのか。それはジョン自身の父親へのあり方にも似ていて、いかなる成功も個人の胸に宿る孤独に敗れた。

戦いの季節は、それぞれの流儀で敗れることで終わった。

で、自分が言いたいのは、人はみんな死刑囚のようなものだということだ。

不安が人を苦しめるというが、「いつか死ぬ」ということほどはっきりしていることはない。長寿を祝いながら、いつ死刑台に立たされるかわからないまま、毎日孤独と向き合いながら過ごしている。なんとも奇妙な話であるが、いよいと国家予算に反映しなければならなくなってきた。これほど明確なことなのに予算化しないことがクレイジーだったのだ。

オリンピックを控えて「スポーツ庁」を設置することに反対なしで通過したが、それ以上に必要なのは「老人対策庁」だ。介護保険、後見人制度、など老人対策は行われているが、ほとんど机上の空論なのが現実で、使い勝手の悪いさは現実離れしている。

「スポーツ庁」は金儲けにつながるが、「老人対策庁」は儲からないのでアサーティブになれない。いまでは「母の日」の経済効果という始末だ。なんでもバレンタイン、ハロウィンにつぐお金が動くイベントらしい。

こういう話を聞くと、20世紀を代表するアーティストであったエルヴィスやジョン・レノンの葛藤はなんだったのかと寂しく思えるのです。品行方正でなかったけれど、少なくとも彼らは人に優しいアートをめざしたアーティストだったように思うのです。彼らの命と共に失ったのは、「人にやさしいアート」であり、「人にやさしい政治」なのです。

ほんならいきまひょか、<監獄ロック> 人はみんな死刑囚なんやから陽気にいきましょう!




州立刑務所で看守がパーティーを開き
監獄バンドがさっそく演奏を始めた
バンドはノリノリ、雰囲気も最高潮
囚入たちの大合唱が最高にイカしてる

踊ろうぜ、みんな踊ろうぜ
刑務所中のやつらが
監獄ロックに合わせて踊りだす

蜘蛛のマーフィーがサックスでテノールを吹けば
リトル・ジョーイがトロンボーンで対抗さ
イリノイ州出身のドラマーはドラムを叩きまくってた
バンドの連中ときたらみんな過激なやつばかり

*くり返し

囚人47号が3号にこう言った
「この中じゃおまえさんが一番いい男
どうだい、1曲やらないか
俺と監獄ロックを踊ろうぜ」

*くり返し

隅っこじゃ、サッド'サックが石の上に座り
一人でメソメソしてたっけ
看守が言ったよ
「ウジウジするな
相手がいなけりゃイスとでも踊るんだ!」

*くり返し

シフティ・ヘンリーがバッグスにつぶやいた
「今こそ脱獄のいいチャンス」
でもバッグスはすかさずこう言った
「それよりここで楽しもうぜ」

*くり返し

監獄ロックに合わせて踊りだす

×5回でフェード・アウト








2010年5月24日月曜日

監獄ロック


監獄ロック

 1957年・・・この時代、人工衛星が次々に飛んで行った。失敗が飛んで行くような快感が地球と遊んでいた。映画館ではB級モンスター&スペース・ファンタジーがゲンキだった。

 映画『監獄ロック』は、そこに突入した。バカバカしさの素敵をモンスターや空飛ぶ円盤と謳歌するために作られた映画なのだ。ジョニーデップが演じた「エド・ウッド」が作った映画のように、囚人の向こうではモンスターが火星人と円盤叩いて踊っている。

 近所によくわからないお姉さんが住んでいて、その何人か下の妹と同級生だった。その子と遊んでいると、姉さんが自分の部屋に案内して、いいもの聞かせてあげると言った。ボクは音楽という音楽が全部嫌いで全然楽しいとは思えなかったが、そういうので黙って言われるままにしていた。

すると突然、叫んでいるだけとしか思えない声が響いてきた。それがなんであるかを考える前に、このお姉さんは気が狂っていると思った。それがこの世で最初のエルヴィス・プレスりーとの接触だったがそのときそこまで考えことはなかった。しかし余程ショックだったのか、とんでもない代物を納めていた黄色のジャケットを忘れたことがない。

 その後、そのお姉さんはどうなったか知らないが、親子げんかが絶えなかったような記憶がある。多分男関係かなんかでバカバカしくやっていたのだろう。ボクは奇怪な音楽に接することなく育っていったが、悪い音楽という記憶が刷り込まれていた。

 自ら何度も繰り返し聴く<監獄ロック>と、聞かされた衝撃の<監獄ロック>は同じものなのに、違って聞こえるのはどうしてなんだろう。そんなものがこの世にあるなんて知らない立場で聞くことと、分かっていて聴く違いではないものがある。

 基本的にポップスというものは一期一会なのだ。同じ体験はない。後に残されたのは語ることのできるウンチクだけなのだ。しかしポップスはウンチクではない。特にロックンロールという代物は考えて聴くものではなく身体で聴くものだ。だからコンセプトアルバムなんて代物はロクなものではない。3分を越えないシングル盤が正しいのだ。部屋の掃除をしていたら隅っこから出てくる円盤が正しいのだ。

 人間は月に行った。何でもできることを証明した。しかし人間はバカバカしいことに夢中になれる動物であることを忘れたくない。<監獄ロック>は、いつ聴いても、ビー玉のように道端で光りながら微笑んでいる。丸く黄色い笑顔のようだ。


州立刑務所で看守がパーティーを開き
監獄バンドがさっそく演奏を始めた
バンドはノリノリ、雰囲気も最高潮
囚入たちの大合唱が最高にイカしてる

踊ろうぜ、みんな踊ろうぜ
刑務所中のやつらが
監獄ロックに合わせて踊りだす

蜘蛛のマーフィーがサックスでテノールを吹けば
リトル・ジョーイがトロンボーンで対抗さ
イリノイ州出身のドラマーはドラムを叩きまくってた
バンドの連中ときたらみんな過激なやつばかり

*くり返し

囚人47号が3号にこう言った
「この中じゃおまえさんが一番いい男
どうだい、1曲やらないか
俺と監獄ロックを踊ろうぜ」

*くり返し

隅っこじゃ、サッド'サックが石の上に座り
一人でメソメソしてたっけ
看守が言ったよ「ウジウジするな
相手がいなけりゃイスとでも踊るんだ!」

*くり返し

シフティ・ヘンリーがバッグスにつぶやいた
「今こそ脱獄のいいチャンス」
でもバッグスはすかさずこう言った
「それよりここで楽しもうぜ」

*くり返し

監獄ロックに合わせて踊りだす

×5回でフェード・アウト