2010年5月24日月曜日
監獄ロック
監獄ロック
1957年・・・この時代、人工衛星が次々に飛んで行った。失敗が飛んで行くような快感が地球と遊んでいた。映画館ではB級モンスター&スペース・ファンタジーがゲンキだった。
映画『監獄ロック』は、そこに突入した。バカバカしさの素敵をモンスターや空飛ぶ円盤と謳歌するために作られた映画なのだ。ジョニーデップが演じた「エド・ウッド」が作った映画のように、囚人の向こうではモンスターが火星人と円盤叩いて踊っている。
近所によくわからないお姉さんが住んでいて、その何人か下の妹と同級生だった。その子と遊んでいると、姉さんが自分の部屋に案内して、いいもの聞かせてあげると言った。ボクは音楽という音楽が全部嫌いで全然楽しいとは思えなかったが、そういうので黙って言われるままにしていた。
すると突然、叫んでいるだけとしか思えない声が響いてきた。それがなんであるかを考える前に、このお姉さんは気が狂っていると思った。それがこの世で最初のエルヴィス・プレスりーとの接触だったがそのときそこまで考えことはなかった。しかし余程ショックだったのか、とんでもない代物を納めていた黄色のジャケットを忘れたことがない。
その後、そのお姉さんはどうなったか知らないが、親子げんかが絶えなかったような記憶がある。多分男関係かなんかでバカバカしくやっていたのだろう。ボクは奇怪な音楽に接することなく育っていったが、悪い音楽という記憶が刷り込まれていた。
自ら何度も繰り返し聴く<監獄ロック>と、聞かされた衝撃の<監獄ロック>は同じものなのに、違って聞こえるのはどうしてなんだろう。そんなものがこの世にあるなんて知らない立場で聞くことと、分かっていて聴く違いではないものがある。
基本的にポップスというものは一期一会なのだ。同じ体験はない。後に残されたのは語ることのできるウンチクだけなのだ。しかしポップスはウンチクではない。特にロックンロールという代物は考えて聴くものではなく身体で聴くものだ。だからコンセプトアルバムなんて代物はロクなものではない。3分を越えないシングル盤が正しいのだ。部屋の掃除をしていたら隅っこから出てくる円盤が正しいのだ。
人間は月に行った。何でもできることを証明した。しかし人間はバカバカしいことに夢中になれる動物であることを忘れたくない。<監獄ロック>は、いつ聴いても、ビー玉のように道端で光りながら微笑んでいる。丸く黄色い笑顔のようだ。
州立刑務所で看守がパーティーを開き
監獄バンドがさっそく演奏を始めた
バンドはノリノリ、雰囲気も最高潮
囚入たちの大合唱が最高にイカしてる
踊ろうぜ、みんな踊ろうぜ
刑務所中のやつらが
監獄ロックに合わせて踊りだす
蜘蛛のマーフィーがサックスでテノールを吹けば
リトル・ジョーイがトロンボーンで対抗さ
イリノイ州出身のドラマーはドラムを叩きまくってた
バンドの連中ときたらみんな過激なやつばかり
*くり返し
囚人47号が3号にこう言った
「この中じゃおまえさんが一番いい男
どうだい、1曲やらないか
俺と監獄ロックを踊ろうぜ」
*くり返し
隅っこじゃ、サッド'サックが石の上に座り
一人でメソメソしてたっけ
看守が言ったよ「ウジウジするな
相手がいなけりゃイスとでも踊るんだ!」
*くり返し
シフティ・ヘンリーがバッグスにつぶやいた
「今こそ脱獄のいいチャンス」
でもバッグスはすかさずこう言った
「それよりここで楽しもうぜ」
*くり返し
監獄ロックに合わせて踊りだす
×5回でフェード・アウト
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